茶道便蒙抄

茶道宗徧流の流祖・山田宗徧は生涯に二冊の貴重な書籍を書き残しています。そのうちの一つ、『茶道便蒙抄(さどうべんもうしょう)』は、千利休の百年遠忌(元禄3年、1690年)に出版された日本最古の茶道教本です。

山田宗徧(周学)は、寛永4年(1627年)京都、本願寺系の長徳寺の4世として生をうけ。18歳で玄白宗旦(当時64歳)に入門。27歳で皆伝を受け、その3年後三州吉田藩・小笠原家に出仕し、元禄10年(1697年)まで45年間、小笠原家の茶頭を勤め、宗旦から伝えられた利休正伝の茶を守り通しました。その間、永宝8年(1680年)には『茶道便蒙抄』を完成させ、元禄3年(1691年)、千利休百年遠忌の年に出版しました。

利休亡き後、世の茶風は大名茶全盛。その中にあって、利休回帰の胎動が見られる中で出版された『茶道便蒙抄』は、利休正伝の茶の湯を伝える書籍として世の中に衝撃を持って迎られた事は想像に難くありません。

『茶道便蒙抄』は「亭主方」、「客方」、「置合図」の三巻で構成されています。その中で、「亭主方」の第十二 客来る時迎のこと の一節を紹介しようと思います。

【読み】客座に入りとくと着座して暫く間ありて勝手の障子をあけ一礼あるべし 但座敷へ出つ時足音なもなく勝手口まで来り障子をそろそろと開くるは悪し。勝手口遠き所より足音などよき頃に座敷へと聞こゆる程踏み障子をも開けよき◼️にすべし

今日でも、茶事に招いた客が蹲を使い席入りし、客座に着くと、亭主が来庵の挨拶にでます。その時の心得です。客が着座していきなり障子を開けるのはよろしくないと言っています。亭主が勝手口に到着したのを、足音などを使って客に伝えるべしと。客に、亭主との挨拶に向かう心の準備をする時間を提供しようということだと思います。確かに、席についたと思ったら、いきなり亭主が襖を開けたらびっくりして挨拶どころではなくなってしまうかもしれませんね。

『茶道便蒙抄』は茶道の作法、所作等について厳格な文体で記されています。そこからは、山田宗徧の性格、信条を感じる事ができますが、同時に主客間の細やかな配慮も随所に見る事ができます。

それこそが、侘び茶の真髄であり醍醐味ではないでしょうか。

第四回倶楽茶会 無事終了しました

3月の末から4月第一週にかけて、第四回倶楽茶会として茶飯釜の茶事を催しました。獨楽庵における常の茶事と同じく、一亭で臨みましたがお客様が多い日には間延びしてご迷惑をおかけしたことと思います。

お陰様で、お客様の口に炊き立てのご飯が入らないという日はなく、これをもって「無事」に終了とさせて頂きたく存じます。懐石の献立にも反省点はありました。来年は、よりスムーズに、より楽しく和やかに、春の日の茶飯釜を楽しみたいと思います。

これから5月にかけて、獨楽庵では釣り釜を楽しもうと思います。鎖につられた釜が揺れる風情が春らしいとの声も聞こえてまいります。

6月には炉を閉じて風炉に移る予定ですが、試みとして獨楽庵(太柱席)は炉の釣り釜のままにしてみようと考えております。小間席には空調がないので夏日の日中はいずれにしても使うことができません。日中の暑さを嫌って、古の茶人は朝会をいたしました。いつか、獨楽庵でも早朝からお客様をお迎えしてみたいものです。

今日の獨楽庵|2026年4月10日

4月は気候からしても、炉の名残の季節です。冬の間、炉中の炭の灯りや釜から立ち上る湯気で、我々の気持ちを和らげてくれた囲炉裏とも、しばしお別れの季節やってきます。

獨楽庵では、炉の名残を楽しむために「茶飯釜」の茶事を催しました。3月の後半から2、3週間をかけて、合計12回の茶飯釜茶事を催しました。茶飯釜を通じて分かったことは、初座と後座の位置付けです。

初座の懐石(今回は茶飯釜でしたが)では、酒が入ることもあり、和やかな対話が繰り広げられます。文字通り、言葉を介した対話です。それに対して、後座では「無言」の対話がなされます。私は、基本的に無言の対話にはナガティブなのですが、初座があっての後座での無言のコミュニケーションは”あり”だと思いました。